2016/11/01

怒濤のライブ月刊開始!

アロハ〜!
さすがに11月に入り寒くなって来ましたね、
寒いのは苦手なオハナですが、
今月は先月よりもっと熱いライブが
目白押し!!! 
まず今週は


11/2(水)

『渡會将士 マスターオブライフツアー2016 長崎』

出演… 渡會将士 solo
時間… Open 18:30 / Start 19:00
料金… Adv ¥3,000 / Door ¥3,500 (+1drink)
予約開始… 9/1(木)正午〜
予約受付…【当Websiteで受付】

Contactより、お名前、メールアドレス、本文に「11/2予約、お名前カタカナ・フルネーム、予約人数」を明記の上、送信して下さい。

管理者の一存により、整理番号は発行されません。仲良く譲り合ってご入場&パーリナイして下さい。

http://wataraimasashi.com/

渡會将士(わたらい まさし)
1981年4月6日、埼玉県出身。O型。
2001年、東京にてメンバーと共にFoZZtoneを結成。
2007年にメジャーデビューしてから2015年3月の活動休止までの間、業界初のオーダーメイドアルバム、録音録画OKのライブツアー等、数々の型破り な企画を実現。インディーズ時代からほぼ全ての楽曲の作詞作曲、アルバムジャケットデザイン、イラストを手掛け、6thフルアルバムの1曲「溺れる鯨」で はミュージックビデオの監督も務める。
2012年に初のソロ作品「夕立ベッドイン」を発表。アンダーグラウンドシーンながらも非常に高い評価を得る。以後、1st ソロアルバム 「I’m in Mars」(完売)や、2016年1月からタワーレコード渋谷店で売り切れ/再入荷を繰り返し続けた「謹んであらたま」等、数々の作品を発表し続ける。活 動形態も弾き語り、コーラストリオ、バンド、アイドルグループ、楽曲提供など、多岐に渡る渡る亘る。
2014年、JR東海 トーキョーブックマークのテレビCMに出演。
2015年、ベイビーレイズJAPANの10thシングル「Pretty Little Baby」を楽曲提供。販促イベントに出演した際、りおトン(ベイビーレイズJAPAN 渡邊璃生)から「みたらしあつし」という作家名を授かる。
同年9月、単身でアメリカに渡り、路上やバーで歌いながら1ヶ月生活。
渡米中に菊地英昭氏(THE YELLOW MONKEY)によるプロジェクトbrainchild’sのヴォーカルとしてオファーを受け、2nd Mini Album「HUSTLER」に参加。その歌唱力と歌詞について菊地氏からは「宝くじに当たった気分」、吉井和哉氏(THE YELLOW MONKEY)からは「天才」と賞賛される。
2016年、35周年イヤーがスタート。



11月3日(木・祝)

小山卓治vs白浜 久vs岡野雄一

Open 17:00 Start 17:30
Fee : ¥3,500(前売)/¥4,000(当日)
(要1ドリンクオーダー)

御予約:店頭及びinfo@pandars.netまたはtakuji@ribb-on.com

白浜久プロフィール

1981年 西南学院大文学部外国語学科卒。
1981~1983年 法務教官として小田原少年院に勤務。
1985年 ビクターレコードよりメジャーデビュー。ほぼ同時期に斎藤光浩(BOW WOW)の抜けたARBにギタリストとして参加。 90年までに、ARBで4枚のアルバムと、3枚のソロアルバム発表。
90年 東芝EMIへ移籍、4th「90’s Paradox」発表。
2000年 VIVIDより5th「color of my life」発表。
プロデュースしたアーティストは福山雅治、山本太郎、ユニコーン他。
楽曲提供は時任三郎、真田広之、山瀬まみ、福山雅治他。
また非行問題の講演等活動は多岐に渡る。
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小山卓治プロフィール
熊本在住の大学生時代から楽曲制作・ライブ活動を行い[2][4]、1982年に上京[。レコード会社へデモテープを送り続けていた中、それに興味を持ったRCサクセションのマネジメント会社「りぼん」からスカウトされ、CBSソニーからデビューすることが決まる。

1983年にアルバム『NG!』とシングル「FILM GIRL」でデビュー。同時期にデビューしたソニー系アーティストの尾崎豊・大沢誉志幸・大江千里らとともに、「Oの時代」というくくり方をされた。メッ セージ性と文学性を備えた独自の世界観を持った楽曲は、尾崎豊やMr.Childrenの桜井和寿などにも影響を与えている。

1990年にソニーとの契約が一度凍結。同年に中国残留孤児二世の少年による実在の事件をテーマにした楽曲「YELLOW WASP」を、カセットテープのみでインディーズから発売(2001年に再録音されCD化)。メディアに取り上げられ“社会派”と評されるが、小山は「社 会派呼ばわりされるのは、はっきり言って心外だった。ある一個人の叫びを歌いたかっただけだから。」と述懐している[6]。1991年より、尾崎豊や浜田 省吾らを担当した須藤晃のプロデュースの下で、再びソニー所属として活動することにな]。同年発売のアルバム『成長』は、浜田省吾がコーラスとして参加し ている。

2000年代からはインディーズレーベルよりCDを発売し、年間に50本以上のライブを続けている。音楽活動の他に、エッセイや小説なども発表している。

2008年に実写サウンドノベルゲーム『428 〜封鎖された渋谷で〜』に役者として出演。同作監督のイシイジロウが小山のファンであったことからの出演となった。

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岡野雄一
1950年、長崎県長崎市にて生まれ育った。父は再婚で、親戚にあたる女性と結婚した。その間に生まれたのが、岡野である。父は三菱重工業長崎造船所に勤務するかたわら、斎藤茂吉に師事するアララギの歌人でもあった。

長崎市立勝山小学校(のちに長崎市立新興善小学校、長崎市立磨屋小学校と統合再編され長崎市立桜町小学校と長崎市立諏訪小学校に)、長崎市立長崎中学校を経て、長崎県立長崎東高等学校に入学する。高等学校卒業後に上京し、専門学校でデザインを学んだ。

専門学校卒業後は出版社に勤務し、漫画雑誌などを担当した[。15年間ほど勤務したのち退職し、長崎県に帰郷した。広告代理店での営業、タウン誌の編集長 などを経て、漫画家となった。その後、タウン誌や病院の広報誌などに漫画を掲載するようになる。当初は単行本を自費制作していたが、地元の書店に置いた 『ペコロスの母に会いに行く』と『ペコロスの玉手箱』の売れ行きが好調だったことから、それらを再編集し『ペコロスの母に会いに行く』として西日本新聞社 より全国発売された[3][4][5]。のちにNHKによりテレビドラマ化されるとともに、森崎東により映画化された。同作で第42回日本漫画家協会賞優 秀賞受賞。また、母との暮らす日常や作品を執筆する様子が、NHKの『ハートネットTV』にて特集された[8]。 なお、『ペコロスの母に会いに行く』で描かれた母親は2014年8月24日に91歳で他界している。

現在は、毎週月曜掲載の『ペコロスの陽だまりの時間(続・ペコロスの母に会いに行く)』(『東京新聞』)、隔月掲載の『ペコロスの母の思い出』(『しんぶん赤旗』)で、執筆中である。



11月5日(土)

INDIES ART CLUB and GALLERY企画・長崎限定奇跡のライブ!

『ザ・タイトロープス』@長崎オハナカフェ

<出演>
ハッチハッチェル(Vo.Gt.Va.Dr.) / ドラマーえみ ex.少年ナイフex.ニーハオ!(Dr.Chor.) / Tomo ex.thee 50’s high teens(Vo.Ba.)

OPEN 19:00/START 19:30
前売 3000円/当日 3500円

<問い合わせ>
indies art club and gallery TEL:095-823-5217



INFORMATION オハナカフェ 〒850-0853 長崎県長崎市浜町2-25-2F TEL:095-827-2405 ohanacafe225@gmail.com http://ohanacafe.tumblr.com/ http://www.facebook.com/tokyosoundcity#!/ohanacafe.nagasaki

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